つぼみふくらむ桜が待っている墓参

彼岸の中日も過ぎて、渋滞も無いだろうと朝一番に公園墓地にある墓へ参りました。
朝食時に、「花やがな・・・」と始まった・・・。
「どうせゴミになる花、仏も喜ばないのではなかろうか」
ときた。「そうはいっても、花の好きなお舅さんとお姑さんのために、絶対花は買いますからね」と宣言して、「それでも嫌なら私は歩いてでも行くわよ・・・」。
結局、一対の花を買って供えて一件落着。
考えれば、ホンにゴミになる花、どうでもいい事ではあるなあ、その家の考えようで要らないかもしれない。思い切って韓国旅行の折りに見た造花でも合理的なのかもしれない(全てがそうだとは分かりませんが)。
墓への道中、
「考えたら、墓だって要らないかもしれない・・・一心寺のように供養塔に骨を塗りこんでもらってもいい訳やから、どうせ、こちらが死んだら娘二人は嫁に行った身、墓など参らないかも・・・そしたら無縁仏か」
「そう・・・そしたら生きてるうちに、墓をつぶして思うようにしたら?」
「もう20年も、この世にいないわけやからなあ」
などなどの墓場でならではの会話を、桜のほっこりしたつぼみがかすかに笑って聞いているようでもありました。