ふるさとに涙の別れ姉が逝く

朝一番にオットセイの運転で、ふるさとへの高速を久しぶりにひた走る。娘と最寄の駅で落ち合い、葬儀会場となる姉の家へ。
いつもは姉の優しさに逢う道のりだった。いちごハウスをほとんど一人で切り盛りし、トマトを作り、美味しい米をほとんどプロ並みに生産した姉だった。この作物は私達兄弟やその友達にまで恩恵にあやかり、私も何度も友人を姉の菜園に案内したものだった。特にあのふくいくとしたいちごの香りを覚えている友は訃報をたいそう悲しんでくれた。
葬儀会場に早変わりした姉の家では、ひ孫に至るまで大勢の親族が集い仏式で行われた。すすり泣く声が聞こえる中での静かな弔いのお経はJ○主催で、長からず短からず、簡素化されたなかにもおごそかに流れた。昨日のお通夜なしもこの地区の改良された結果なんだとわかってホッとした。
姉との永久の別れはぽっかりと大きな穴があいた、長い長い一日だった。